清末民初の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/18 17:38 UTC 版)
農業・商業を兼業していた家庭に生まれる。馬福祥は、幼い頃はモスクで学問を積んだ。14歳の頃から武術の訓練を開始し、1897年(光緒23年)、武挙の郷試に及第する。以後、軍歴を重ね、1906年(光緒32年)、西寧鎮総兵に昇進した。1910年(宣統2年)、建威将軍位を授かり、西路巡防統領として蘭州に駐屯した。 辛亥革命勃発の際には、馬福祥は基本的に傍観の態度をとり、袁世凱が中華民国臨時大総統となると、これに服属した。1912年(民国元年)5月、北京政府から寧夏鎮総兵に任命され、「昭武軍」と呼ばれる軍を率いた。白朗討伐などで功績をあげ、寧夏の秩序を維持する。
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