淡輪隆重
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 14:09 UTC 版)
淡輪 隆重(たんのわ/たんなわ[4] たかしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。和泉淡輪城主。初名は良重といい、後に隆重と改めて、徹斎(てっさい)と号したので[1]、淡輪徹斎の名でもしられる。
- ^ a b c d e 井上 1922, p. 1021.
- ^ 昌信の子・信重の代で、姓を本山氏に改める[1]。
- ^ 実は波有手村(ぼうでむら)の後藤六郎兵衛政義の娘で養女。豊臣秀次側室となり、遺児・お菊の母という。
- ^ a b 世界大百科事典内. “淡輪徹斎”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2022年4月4日閲覧。
- ^ a b 世界大百科事典. “淡輪氏”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2022年4月4日閲覧。
- ^ 現大阪府泉南郡岬町淡輪付近。
- ^ a b c d e f g 谷口 1995, p. 247.
- ^ 雑賀五郷のうち紀州川東岸の中郷・宮郷・南郷の衆こと。根来衆と共に同年2月に織田方に寝返った。
- ^ 重政は1615年の大坂夏の陣で大坂方の将として樫井で戦死した。
- ^ 「おここの方」ともいう。
- ^ 井上 1922, p. 1021-1022.
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