淡谷との衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 08:02 UTC 版)
このようにして出来上がった楽曲を、当初の構想通りに淡谷に歌わせることとなったが、製作側と歌い手の淡谷の間に意見の食い違いが生じた。音楽学校の卒業公演が「十年に一度のソプラノ」とも新聞で評された淡谷はソプラノ歌手として高い評判を得ていたが、「アルトでも無理」な音域であることや、ディレクターから「ブルースらしく歌わないでフォックストロットみたいに」歌うように指示されたことが原因である。 しかし、淡谷に「ダミアのように低音で歌わせよう」と考えていた服部は「マイクにぐっと近づいて無理でもこの音階で歌ってもらいたい」と説得した。淡谷も低音を出すために今までに吸ったことがなかった煙草を一晩中吸い、一睡もせずに声を荒らしたままレコーディングを果たし、『本牧ブルース』の完成に至った。
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