淡路からの援軍と三好実休の反撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 04:40 UTC 版)
「鑓場の戦い」の記事における「淡路からの援軍と三好実休の反撃」の解説
『三好記』によると、この後すぐに、淡路島の野口則守が、1,000の兵を引き連れて三好方に合流した。それに加えて、実休は上郡(三好郡・美馬郡など)からも援軍を集め、中富川に2,000の兵を出した。一方の久米方は、川を挟んで黒田鑓場に陣を敷いた。 すると、実休は久米方の兵数が少ないと判断し、渡河して兵を黒田鑓場に進めた。この戦闘で野田内蔵助と野口則守は戦死し、久米方の城主たちは全員戦死にした。 『昔阿波物語』によると、三好方の兵3,000に対して久米方の兵は600であり、久米方は包囲されて全滅した。
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