涼王を望む
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:00 UTC 版)
10月、東晋の侍御史兪帰が涼州へ到来し、張重華を侍中・大都督・隴右関中諸軍事・大将軍・涼州刺史に任じ、西平公に封じる旨を告げた。これにより、張重華の官爵は自称ではなく、正式なものとなった。だが、張重華は涼王の爵位を望んでおり、兪帰が姑臧へ到着した折に詔を貰うよう要請したが、兪帰は応じなかった。そのため、張重華は兪帰の友人の沈猛に説得を命じ、沈猛は私的な場で兪帰と会うと「朝廷は鮮卑族の慕容皝を燕王へ封じておきながら、主公は大将軍の官位を任命されたに過ぎぬ。主公(張重華)は先祖代々晋の忠臣であるが、今や鮮卑にも及ばないというのはどういう事であるか」と述べた。 これに対し兪帰は「春秋時代、呉・楚などは周王を差し置いて王号を僭称するようになった。諸侯はこれを非としなかったが、これは彼らを夷蛮の者に過ぎないと見做していたからである。主上は公(張重華)の忠賢をもって公の爵位を下賜し、方伯の任を与えたのである。今、公は位を継いで間もないのに、早くも王になろうとしている。公が現地の民衆を従えて東の胡・羯を平らげ、陵廟を修復し、洛陽に天子を迎え入れたならば、どのような爵位をもってこれに加えれば良いのか」と反論した。張重華はこの話を聞き、遂に王号を諦めた。
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