海外伝道局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/15 16:31 UTC 版)
「アメリカ合衆国長老教会」の記事における「海外伝道局」の解説
ニュー・スクールとオールド・スクールの分裂の翌年、1837年に、それまでのようにアメリカン・ボードに参加する形で宣教師を派遣することをやめてオールド・スクールで独自に海外伝道局(米国長老海外伝道局)を設置した。その時の最初の宣教師の一人がジェームス・カーティス・ヘボンである。 1854年に徳川幕府と米国政府の間に日米和親条約が締結されると、最初に清国在住の宣教師デヴィー・ボサン・マッカーティーに日本へ宣教師として渡航するように命じた。しかし、一般人の日本渡航は許されず、失敗した。 1858年7月29日に日米修好通商条約が締結された。その第8条によりキリスト教宣教師の来日が可能になった。そこで、海外伝道局では、自ら志願したヘボンと清国在住のジョン・リビングストン・ネビアスを日本宣教師に任命した。
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