浜野栄次とは? わかりやすく解説

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浜野栄次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/30 17:59 UTC 版)

浜野 栄次(はまの えいじ、1923年大正12年〉3月20日 - 1992年平成4年〉3月27日)は、日本写真家昆虫研究家[1][2]

経歴

1923年(大正12年)、東京下谷に生まれる[1][注 1]。子供の頃から昆虫に興味があり、井之頭にあった平山博物館[注 2]館長の平山修次郎の教えを受ける[1]第一東京市立中学校[3]、1945年(昭和20年)に明治大学商学部を卒業[1]

戦後、暮しの手帖社の松本政利に写真を学び、編集長の花森安治の勧めで昆虫写真を専門とすることを志す[1]。1964年(昭和39年)から東南アジア各国を取材で巡り、日本に帰国後は学習雑誌や図鑑などに多くの写真を発表する[1]。特に台湾への訪問は30数次に渡り、その成果は『台湾産蝶類生態大図鑑』としてまとめられた[3]

1991年(平成3年)、東京の自然を写真で後世に残し、自然環境を守ろうという主旨の東京ネイチャーフォトクラブを設立[1]

国分寺市泉町に30数年暮らしていたが、1992年(平成4年)に死去した[3]

浜野栄次昆虫コレクション

日本産の蝶・甲虫類を中心に外国産やその他の昆虫の標本も含む、大型標本箱153箱、中型標本箱18箱の計171箱より成るコレクションで、1992年(平成4年)に国分寺市に寄贈された[3][注 3]

著書

脚注

注釈

  1. ^ 別の資料によれば上野とある[3]
  2. ^ 平山博物館は1930年(昭和5年)に開館、1955年(昭和30年)頃に閉館、跡地は井の頭地区公会堂となった[4]
  3. ^ 別の資料によれば、1994年(平成6年)、国分寺市教育委員会に寄贈とある[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h "浜野 栄次". 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊). コトバンクより2023年4月29日閲覧
  2. ^ "浜野栄次". 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2023年4月29日閲覧
  3. ^ a b c d e 武蔵国分寺跡資料館だより 2012.7 第11号”. 国分寺市公式ホームページ. 2023年4月29日閲覧。
  4. ^ 戦前期の武蔵野”. 三井住友トラスト不動産. 2023年4月29日閲覧。



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