浜田広とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 浜田広の意味・解説 

浜田広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 21:11 UTC 版)

浜田 広(はまだ ひろし、1933年4月28日 - )は、日本の実業家リコー社長、会長を歴任。

経歴

鹿児島県鹿児島市で生まれ、桜島のふもと(鹿児島郡西桜島村、桜島町[1])で育つ[2]。桜峰国民学校(西桜島村立桜峰小学校、後に桜島町立桜峰小学校、鹿児島市立桜峰小学校)卒業[1]学制改革により旧制鹿児島第二鹿児島中学校から新制鹿児島県立鹿児島高等学校第四部併設中学校を卒業し[1]1952年鹿児島県立甲南高等学校卒業[2][3]。中学・高校は桜島から船で通った[1]1957年東京大学経済学部を卒業し、リコーに入社[4]。東京支社長、取締役などを歴任し、1983年から1996年までに社長を務めた[4]1997年から会長に就任した[4]

日本経営者団体連盟副会長、東京経営者協会会長、人事院国家公務員倫理審査委員、教育改革国民会議委員などを歴任した[4]

1991年藍綬褒章を受章した[4]。2005年に日本棋院から大倉喜七郎賞を受賞。

脚注

  1. ^ a b c d 東京タイムズ社経済部 編『経済人国記 わがふるさとの昨日・今日・明日』徳間書店事業室、1988年11月30日、595-606頁。
  2. ^ a b 朝日新聞社 編『新人国記9(茨城県・鹿児島県・三重県・大阪府)』朝日新聞社、1985年10月、70頁。 
  3. ^ 甲南塾の講師一覧(平成13年~26年) ~甲南新書から~” (PDF). 鹿児島県立甲南高等学校公式ブログ. 鹿児島県立甲南高等学校. 2022年3月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e 人事興信所 2009, は90頁.

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第45版 下』人事興信所、2009年。 
先代
大植武士
リコー社長
1983年 - 1996年
次代
桜井正光



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  浜田広のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「浜田広」の関連用語

浜田広のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



浜田広のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの浜田広 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS