浜松八幡宮とは? わかりやすく解説

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浜松八幡宮

読み方:ハママツハチマングウ(hamamatsuhachimanguu)

正称 八幡宮

教団 神社本庁

所在 静岡県浜松市

祭神 応神天皇 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

浜松八幡宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/15 22:18 UTC 版)

浜松八幡宮

鳥居と拝殿
所在地 静岡県浜松市中央区八幡町2番地
位置 北緯34度42分57.4秒 東経137度44分12.6秒 / 北緯34.715944度 東経137.736833度 / 34.715944; 137.736833座標: 北緯34度42分57.4秒 東経137度44分12.6秒 / 北緯34.715944度 東経137.736833度 / 34.715944; 137.736833
主祭神 玉依姫命誉田別命 (応神天皇)、息長足姫命 (神功皇后)
社格 郷社式内社
創建 仁徳天皇御代[1]
例祭 8月14日〜15日[2]
地図
浜松
八幡宮
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浜松八幡宮(はままつはちまんぐう)とは、静岡県浜松市中央区八幡町に所在する神社。

起源は式内社である許部神社(こべじんじゃ)とされる[3]

概要

仁徳天皇の御代、遠淡海の鎮静のため、海運の神である玉依比売命を許部の里(現・中央区小沢渡町付近)に祀り、平安時代の延喜式には許部神社と記される[1]

938年(天慶元年)に神託によって現在地へと遷座し、1051年(永承6年)には源義家(八幡太郎)によって八幡二神品陀和気命息長足姫命)が勧請され、多くの武家庶民の崇敬を集めた[1]

1570年(元亀元年)に徳川家康が、居城を岡崎城から浜松城へ移し、本八幡宮を鬼門封じとする[1]1572年(元亀3年)の三方ヶ原の戦いで敗走した際には、徳川家康は本八幡宮に逃れ、社前の楠の洞穴に潜み、武田勢の捜索を逃れたとされ、その際この楠より瑞雲が立ち上った事から、以後「雲立の楠(くもたちのくす)」と呼ぶようになった[1][4][5]。その後、徳川家康は本八幡宮を徳川家代々の祈願所と定め、旗、弓、神馬を奉納し、家康が江戸に府在の折は、名代を使わして参拝した[1]

祭神

境内社

摂社

末社

境内

  • 雲立の楠
  • 颯々の松
  • 松島十湖(まつしまじっこ)の歌碑

祭事

アクセス

鉄道

バス

  • 遠鉄バス早出行き 八幡宮停留所下車 徒歩1分

脚注

  1. ^ a b c d e f 祭神・由緒 - 浜松八幡宮
  2. ^ 年間の主な祭事・行事 - 浜松八幡宮
  3. ^ 浜松八幡宮
  4. ^ 浜松八幡宮 - 浜松市
  5. ^ 浜松八幡宮 - 静岡新聞

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