泉福寺 (川崎市)とは? わかりやすく解説

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泉福寺 (川崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:10 UTC 版)

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泉福寺
泉福寺本堂
所在地 神奈川県川崎市宮前区馬絹1719
位置 北緯35度34分53.06秒 東経139度35分29.77秒 / 北緯35.5814056度 東経139.5916028度 / 35.5814056; 139.5916028座標: 北緯35度34分53.06秒 東経139度35分29.77秒 / 北緯35.5814056度 東経139.5916028度 / 35.5814056; 139.5916028
山号 平栄山
宗旨 天台宗
本尊 不動明王
創建年 不詳
開山 義天法印[1]
中興 知賢法印[1]
正式名 平栄山泉福寺
札所等 準西国稲毛三十三所観音霊場25番・26番
玉川六阿弥陀霊場6番
武相不動尊霊場第23番
文化財 板面着色絵馬泉福寺薬師会図
板面着色絵馬泉福寺境内相撲図
公式サイト 天台宗 泉福寺
法人番号 4020005007357
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泉福寺(せんぷくじ)は、神奈川県川崎市宮前区馬絹にある天台宗寺院

歴史

天台宗に属し、山号を「平栄山」という[2][1]。創設年代は不詳であるが、開山は義天と伝わる[2][1]。寺の中興は、智賢(1505年(永正2年)4月28日寂)である[1][3]。本堂は1847年(弘化4年)12月に老朽化のために建て替えられている[1]。本尊は不動明王で、武相不動尊霊場第23番札所である[1][4]。その他に阿弥陀如来と子育地蔵尊を祀り[1]、玉川六阿弥陀の第6番札所である[5]

泉福寺は、准西国稲毛三十三所観音霊場第25番及び第26番札所でもある[2][3]。第25番は境内にある「千手堂」で、本尊は千手観世音菩薩である[3]。千手観世音菩薩は、身の丈7寸(約21センチメートル)の像である[3]。山田平七という人物が発願し、泉福寺所有の山林の道に面した地所に境外堂宇として観音堂を建立した[3]。堂は現存しないが、宝永から天保にわたる時代の堂守の石碑が現存している[3]。天保のころに本尊の千手観世音菩薩は泉福寺に遷座されて、千手堂が建立された[3]

第26番も山田平七の発願によるものである[2]。こちらの本尊は聖観世音菩薩像で、身の丈は7寸6分(約23センチメートル)の像である[2]。発願当時には旧大山街道の馬絹村小台坂近くの柴原邸庭内にあった[2]。堂宇の炎上によって、柴原は本尊を泉福寺に納めたが、その年代は不詳である[2]。第25番と第26番それぞれの本尊は1つの堂宇に安置されて、共に札所を担っている[2][3]

その他には、薬師如来像や馬頭観世音碑、花供養碑などがある[3][6]。薬師如来像は古文書の記すところによれば、嘉永年間(1848年から1854年)の初めに農民が泥中から発見したものという[3]。馬頭観世音碑は、1863年(文久3年)に地元の馬飼育者が奉献したものである[3]。花供養碑は、1963年(昭和38年)に建立されたものであるが、泉福寺ではすでに江戸時代から花の供養を執り行っていた[6][7][8]

境内には、樹齢800年といわれるイチョウの古木や、樹齢四百数十年というサルスベリの老木があり、それぞれ「まちの樹50選」に選ばれている[9][10]

境内

境内には、本堂の他、三仏堂、馬頭観音、墓地等が存在する。

本堂
1847年弘化4年)建立[1]
三仏堂
薬師如来、千手観世音菩薩、聖観世音菩薩が安置されている[11]
花供養塔
1963年(昭和38年)に[6]根府川石を用いて[12]建立された。
馬頭観音
1862年(文久2年)建立。「馬頭観世音」の文字塔上部に観音坐像[13]
札所碑
「准西国第廿五番」 - 1943年(昭和18年)[14]
「准西国第廿六番」 - 1819年文政2年)[14]
「多麻河泊 六阿彌陀 第六番霊場」 - 1857年安政4年)[14]
大イチョウ
まちの樹50選の第16番に選定されている[10]。樹齢700~800年[1][3]
サルスベリ
まちの樹50選の第17番に選定されている[10]。樹齢400年[1]

文化財

板面着色絵馬泉福寺境内相撲図
絵馬のうちでも大絵馬と分類される絵馬[15]。泉福寺境内で行われた奉納相撲であることを示している[15][16]。1857年(安政4年)に春川という絵師が手掛けたもので、都倉氏という人物が願主であることが墨書から判明している[17]1985年(昭和60年)に川崎市の市重要歴史記念物に指定された[15][17]
板面着色絵馬泉福寺薬師会図
これも同様に大絵馬である。嘉永年間に発見された薬師如来の霊験を慕って多くの人が参詣に詰めかけた様子や、薬師如来を発見し驚く村人の姿が描かれている[15]。墨書銘から、江戸時代末の1854年(嘉永7年)に制作されたものと判明している[17]。1985年(昭和60年)に川崎市の市重要歴史記念物に指定された[15][17]

年中行事

  • 1月、5月、9月 不動護摩供養
  • 3月、9月 彼岸法要
  • 8月7日 施餓鬼法要
  • 8月13〜15日 盂蘭盆
  • 8月17日 花供養[7][8]
  • 12月31日 除夜の鐘[1]

交通アクセス

  • 鉄道
    • 東急田園都市線 宮崎台駅より 徒歩15分
  • バス
    • 東急田園都市線 宮前平駅から野川台行、新城行バス 「東平台(ひがしひらだい)」下車、徒歩3分[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 川崎市宮前区区民懇話会・第7期文化教育分科会 『もっと知ろうよ宮前区-神社・お寺の歴史をたずねて-』川崎市宮前区区民懇話会、1997年、13頁。 
  2. ^ a b c d e f g h 各務秋雄 『準西国稲毛三十三所観音霊場札所めぐり』観音霊場札所会、2002年、68-69頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 各務秋雄 『準西国稲毛三十三所観音霊場札所めぐり』観音霊場札所会、2002年、66-67頁。 
  4. ^ 大法輪閣編集部 編 『全国霊場巡拝事典』大法輪閣、2005年、332頁。 
  5. ^ 塚田芳雄 編 『江戸・東京札所事典』、1989年、161頁。 
  6. ^ a b c 川崎市教育委員会文化課 編 『川崎市石造物調査報告書 資料編 昭和54年度』、1980年、67頁。 
  7. ^ a b セレサ 2012年9月号 (PDF)”. セレサ川崎農業協同組合. 2016年3月27日閲覧。
  8. ^ a b 花と共に94年 馬絹・泉福寺で供養祭”. タウンニュース (2012年8月24日). 2016年3月27日閲覧。
  9. ^ 事業:まちの樹50選”. 川崎市建設緑政局緑政部みどりの協働推進課. 2016年3月26日閲覧。
  10. ^ a b c 川崎市建設緑政局緑政部みどりの企画管理課 編 『建設緑政局事業概要 緑編 -みどりと公園- 平成26年度』川崎市、2014年、p24頁。 
  11. ^ 天台宗 泉福寺”. 2016年3月27日閲覧。
  12. ^ 宮前区歴史文化調査委員会 編 『宮前歴史ガイド』川崎市宮前区役所地域振興課、2016年。 
  13. ^ 川崎市教育委員会文化課 編 『川崎市石造物調査報告書 資料編 昭和54年度』、1980年、6頁。 
  14. ^ a b c 川崎市教育委員会文化課 編 『川崎市石造物調査報告書 資料編 昭和54年度』、1980年、71-72頁。 
  15. ^ a b c d e 川崎市教育委員会生涯学習部文化財課/編集 『かわさきの文化財入門 (下)』川崎市教育委員会、2013年、p39-40頁。 
  16. ^ 川崎市教育委員会社会教育部文化課/編集 『川崎市文化財図鑑』川崎市教育委員会、1992年、p64頁。 
  17. ^ a b c d 文化財さんぽ 泉福寺”. 川崎市教育委員会生涯学習部文化財課 (2010年12月20日). 2016年3月26日閲覧。

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外部リンク




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