河原鶴造翁立像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/21 17:24 UTC 版)
相内神社に向かって左手、平和祈念碑の右手に位置し、参道の方を向いて建っている。中野五一作、銘板の書は旧相内村第4代村長・作田政次による。河原鶴造は旧相内村第3代村長で、相内村の発展に多大な功績を残した。明治10年(1877年)1月10日、鳥取県東伯郡長瀬村(現・湯梨浜町)大字水下村の生まれ。同31年(1898年)9月屯田兵として入植、同36年(1903年)屯田兵の現役解除時には歩兵軍曹。日露戦争時は北韓軍に属して功有り、勲七等青色桐葉章を受章。その後、北海道庁林務課勤務、帝室林野管理局技手をへて大正4年(1915年)に相内へ帰村。呉服太物商を営み、昭和8年(1933年)より同20年まで村長を務めた。
※この「河原鶴造翁立像」の解説は、「相内公園」の解説の一部です。
「河原鶴造翁立像」を含む「相内公園」の記事については、「相内公園」の概要を参照ください。
- 河原鶴造翁立像のページへのリンク