沖島鎌三とは? わかりやすく解説

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沖島鎌三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/13 09:55 UTC 版)

沖島鎌三

沖島 鎌三(おきしま かまぞう、1885年3月15日[1] - 1975年6月19日[2])は、日本政治家衆議院議員(3期)。

経歴

島根県出身[3]1906年日本大学専門部法律科卒[3]南樺太に渡り、樺太合同運輸(株)取締役[3]、(株)豊北木工場取締役社長、豊原町商業会議所特別議員、樺太日日新聞社長を経て[2]農林大臣秘書官、北日本製紙(株)会長、日本麻紡績協会会長となる[2]

1928年第16回衆議院議員総選挙では島根2区から中立系(無所属)で立候補して初当選[4]1930年第17回衆議院議員総選挙では立憲政友会公認で立候補したが落選[5]1932年第18回衆議院議員総選挙で当選[6]1936年第19回衆議院議員総選挙で落選[7]1937年第20回衆議院議員総選挙で当選[8]1942年第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した[9]。終戦後、公職追放となった[10]1951年追放解除[11]。1975年死去。墓所は多磨霊園

脚注

  1. ^ 衆議院『第七十二回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年、23頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』152頁。
  3. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』151頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』85頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』95頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』103頁。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』111頁。
  8. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』119頁。
  9. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』130頁。
  10. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿479頁。公職追放の該当事項は「推薦議員」。
  11. ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊1面。

参考文献

  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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