汪守珍とは? わかりやすく解説

汪守珍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 23:58 UTC 版)

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汪守珍
プロフィール
出生: 1875年光緒元年)
死去: 不詳[1]
出身地:  大清国安徽省広徳州
職業: 政治家
各種表記
繁体字 汪守珍
簡体字 汪守珍
拼音 Wāng Shǒuzhēn
和名表記: おう しゅちん
発音転記: ワン ショウジェン
ラテン字 Wang Shou-chen
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汪 守珍(おう しゅちん)は、中華民国の政治家。北京政府で司法総長代理、国務院秘書長などをつとめた。聘耕

事績

抜貢。清末には、奉天高等検察庁庁長、民政部郎中、黒竜江高等審判庁庁丞、黒竜江提法使を歴任した。中華民国が成立した後の1912年民国元年)9月、汪守珍は北京政府の司法部次長に就任した。翌年9月、司法総長許世英から梁啓超への引継ぎの間に、短期間ながらも代理総長をつとめている。1914年(民国3年)9月、福建省に赴任し、廈門道尹となった。[2][3][4]

1925年(民国14年)12月、汪守珍は許世英内閣において国務院秘書長となる。翌年2月、許世英内閣が崩壊すると、汪も辞任した。国民政府が成立した後に、汪は中央救済準備金保管委員会委員兼常務委員となる。1939年(民国28年)1月まで、その地位にあった。[2][3][4]

  1. ^ ネット上では1946年死去との情報があるが、典拠は不明である。
  2. ^ a b 徐主編(2007)、719頁。
  3. ^ a b 劉国銘主編(2005)、731頁。
  4. ^ a b 華夏経緯網。

参考文献

  中華民国北京政府
先代:
許世英
司法総長(代理)
1913年9月
次代:
梁啓超




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