池田の成立と近世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/02 22:31 UTC 版)
「池田 (指宿市)」の記事における「池田の成立と近世」の解説
池田という地名は江戸期より見え、薩摩国頴娃郡頴娃郷(外城)のうちの池田村であった。頴娃郷のうちの池田村としての村高(石高)は「郡村高辻帳」では1222石余であったと記されている。 延享元年に島津忠卿が応永24年に川辺城の戦いで和泉家当主であった直久が戦死して以降、断絶していた和泉家を継ぎ、今和泉島津家と称し、その際に指宿郷及び頴娃郷の一部から今和泉家の私領として今和泉島津郷が編成され、それまで頴娃郷に属していた池田村は揖宿郡今和泉郷のうちとなった。 今和泉郷のうちの池田村としての村高は「三州御治世要覧」では1461石余、「天保郷帳」では1222石余、「旧高旧領取調帳」では710石余と記載されている。 明治5年には池田湖北岸で新田開発が行われ、1876年(明治9年)に完工し、約80町歩が開拓された。これらの耕地は今和泉郷の郷士に分配され、800石余の増産となった。
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