水谷とウォルターウルフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 18:04 UTC 版)
1984年よりスズキはワークス活動をとりやめたため、水谷は1984年よりプライベーターとして、全日本ロードレース選手権500ccクラスに参戦を行っていた。 1985年、スズキは、市販車であるRG-Γシリーズの販売促進のために、ウォルター・ウルフのイメージカラーをファクトリーレーサーであるRG-Γ(XR70)に施し、水谷勝にイメージ戦略を委ねる。 水谷の走りと、ウォルター・ウルフのデザイン性から、市販車のRG-Γシリーズは、大ヒットの商品となり、関連のヘルメットやレーシングスーツ、ブルゾンなどの商品も数多く販売され、ヒット商品となる。 1986年には、ファクトリーレーサーを改良しXR70/50とするが、基本的に開発が終了しているファクトリーレーサーは他メーカーのファクトリーレーサーより、絶対的なパワーが不足している中、腕でライバルの平忠彦等と戦っていた。 1987年、スズキはファクトリー活動を再開。エンジン形式は旧来のスクエア4タイプからV型4気筒へと変更され、形式名もRGV-Γ(XR72)となった。産声を上げたばかりのマシンだったが、水谷は第2戦筑波大会で優勝を修めた。しかしこの年をもって、スズキのウォルター・ウルフブランドの版権契約が終了。翌1988年からはスズキワークスの青白のカラーリングとなった。 ウォルター・ウルフカラーで市販したバイクはRG-Γシリーズ(50cc~500cc)のみならず、Hiというスクーターも存在した。
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