水原城 (越後国)とは? わかりやすく解説

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水原城 (越後国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/17 14:51 UTC 版)

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水原城
新潟県
城郭構造 平城
築城主 水原盛家
築城年 14世紀中頃
主な城主 水原氏
廃城年 1598年
指定文化財 市指定史跡「水原城館跡及水原代官所跡」[1]
再建造物 水原代官所(復元)
位置 北緯37度50分23秒 東経139度13分52秒 / 北緯37.83972度 東経139.23111度 / 37.83972; 139.23111座標: 北緯37度50分23秒 東経139度13分52秒 / 北緯37.83972度 東経139.23111度 / 37.83972; 139.23111
地図
水原城
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水原城(すいばらじょう)は、現在の新潟県阿賀野市にあたる越後国蒲原郡水原にあった日本の城[2]。1969年(昭和44年)6月28日付けで「水原城館跡及水原代官所跡」として阿賀野市指定史跡[1]

概要

12世紀末より伊豆豪族であった大見氏が源頼朝により白河荘の地頭に任命され土着していた。

14世紀中頃、武蔵野合戦にて武功を上げた大見盛家は足利尊氏より越後国蒲原郡白河之荘水原郷を与えられ、同地に城郭を建設し水原盛家と改めた[3][4]

その後代々水原氏の居城となっていたが、1582年天正10年)10月27日の放生橋の戦いで水原満家は戦死[注釈 1]、上杉景勝は細越将監を城代に置いたが細越将監の内通によって水原城は新発田重家に引き渡され占領された[4][5]1583年(天正11年)8月27日に上杉氏が細越将監を討ち水原城を奪還してからは上杉氏の番城となっていたが、水原氏の断絶を惜しんだ上杉景勝は大関弥七に水原氏を継がせ、弥七は水原親憲と改めた[4][5]

1598年慶長3年)に会津転封になった上杉景勝と共に水原親憲が会津に赴いたため水原城は廃城となり、新発田城に入封した溝口秀勝によって跡地には陣屋が置かれた[4]江戸時代には水原代官所が置かれ、1995年平成7年)に復元されている[2]

所在地

新潟県阿賀野市外城町10番5号[2]

脚注

注釈

  1. ^ 天正11年(1583年)10月、または天正12年(1584年)8月とする説もあり。

出典

  1. ^ a b 「市が指定する文化財」阿賀野市公式HP
  2. ^ a b c 水原代官所|阿賀野市”. www.city.agano.niigata.jp. 2024年7月21日閲覧。
  3. ^ 新潟歴史散歩 1 (歴史散歩シリーズ ; 13,14)』新潟県歴史教育者協議会、1982年https://dl.ndl.go.jp/pid/9539041/1/252024年7月21日閲覧 
  4. ^ a b c d 図解にいがた歴史散歩豊栄・北蒲原1』新潟日報事業社出版部、1984年2月、126-127頁https://dl.ndl.go.jp/pid/95394442024年7月21日閲覧 
  5. ^ a b 渡辺 勇『水原氏の研究』水原町教育委員会、1965年、40-49頁https://dl.ndl.go.jp/pid/29734922024年7月21日閲覧 

関連項目




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