すい‐ば【水馬】
読み方:すいば
馬に乗って水を渡る術。馬を水中に乗り入れ、馬の脚の立たなくなった所で鞍壺(くらつぼ)から離れて泳がせ、馬の脚の立つ所で再び鞍壺にまたがるもの。江戸幕府の年中行事の一つになり、将軍臨席のもと隅田川などで毎年6月に行われた。
あめんぼ【水=黽/水=馬/×飴▽坊】
水馬
水馬
水馬
名字 | 読み方 |
水馬 | みずま |
水馬
姓 | 読み方 |
---|---|
水馬 | みずま |
水馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/08 15:27 UTC 版)
水馬(すいば)は、ウマに乗って水を渡る、江戸時代、江戸幕府の年中行事のひとつ。 馬川渡、馬渡ともいう。
概略
6、7月ころ、書院番、御小姓番、大番、ならびに鶴見、曲木、諏訪部、浦部4箇所の厩付の諸士および田安、一橋、清水の三卿付の諸士らが、数名ないし十数名出動し、隅田川すじでおこなわれた。
騎者は晒麻布を太白糸で縫ってつくった白、紺、浅黄などの、家紋を染め出した水半纏を着用し、ウマには麻の水腹帯をかたく締め、まずウマの平首(ひらくび)の右方に沿って水中にひきいれ、その足のたたないところにくると臀後にしりぞき、腹帯の輪にとりそえた手綱を操ってうちわたした。
熟練の騎者は水半纏のうえに短い水袴を着て、ウマにも水鞍と水鎧をつけ、ウマの足のたたないところにくると平首に沿って下り、轡をとりたすけてすすみ、臀後にしりぞいてうちわたし、対岸のウマの足の立つところにいってふたたびウマに乗った。最熟練者は、甲冑を着たままこれをおこなった。
将軍の上覧があるときはこれを「水馬上覧」といい、これは享保20年(1735年)7月13日将軍徳川吉宗の上覧にはじまった。このときは朱塗りの御用船をだして警固にあたらせたという。
旧日本軍の騎兵科の教練にも水馬がおこなわれ、水中騎兵練習として重視されていた。
関連項目
水馬(ケルピー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:56 UTC 版)
風の聖痕リプレイ「深淵の水龍」に登場した馬の姿をした水の妖魔。水術師ラーンによって呼び出され風の妖魔と連携して燎たちと敵対するがすべて倒された。
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