毛利氏家臣として近世へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 05:49 UTC 版)
毛利氏に降伏した後、佐世氏は敗残の将にも関わらず、今まで通りの待遇で毛利氏家臣として重用され、1592年から始まる文禄・慶長の役から1600年の関ヶ原の戦いにも参加して、忠勤に励んでいる。 関ヶ原の戦いの後、毛利氏が長門・周防に減封されると佐世氏もこれに従うが、朝鮮出兵の時の功により、本領地である出雲大原への帰還を許された。江戸時代は萩藩士として続いた。後に萩の乱の首謀者となった前原一誠は、この佐世氏の末裔にあたる。
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