毛利氏以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 19:45 UTC 版)
毛利氏は水軍の将である重臣・児玉氏を草津城代に配置、児玉就方、児玉就英と続く。児玉氏支配下で城の南に位置する草津湊は広島湾を警護する毛利水軍の基地となり、草津の町も大いに繁栄した。 しかし関ヶ原の戦いによる毛利氏の防長移封後、福島正則が広島城主となると、正則は草津城下の山陽道に大門をつくり、広島の西の関所とし、草津城を壊したとされている。 その後、宮本氏が拝領し第二次世界大戦終結後まで宮本氏の屋敷が置かれた。しかしその過程で山陽本線や宮島線の開通にともない城址は用地買収に遭っている。
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