比良ヶ嶽志賀右エ門とは? わかりやすく解説

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比良ヶ嶽志賀右エ門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 16:29 UTC 版)

比良ヶ嶽 志賀右エ門(ひらがたけ しがえもん)は、江戸時代大相撲力士。第43代大関近江国滋賀県)出身だが、番付上は初めは「江州」、後に「九州」頭書。

1774年安永3年)3月の春場所、江戸相撲で東大関に看板大関として付け出され、千秋楽のみ出場したが負けた。その後、1775年(安永4年)6月に大坂相撲に移って「碇ヶ関岩右衛門」と改名した西関脇として名を出したが、同年10月の冬場所に江戸相撲に戻って名前も元の「比良ヶ嶽志賀右エ門」に戻し、東関脇で再登場した。そして1776年(安永5年)1月の春場所(虫害による飢饉のため興行中止)の番付に同地位に出たのを最後に引退した。

主な成績(江戸相撲)

  • 生涯戦歴:3勝4敗10休/7出(2場所)
  • 幕内戦歴:3勝4敗10休/7出(2場所)
  • 大関戦歴:0勝1敗7休/1出(1場所)
  • 関脇戦歴:3勝3敗3休/6出(1場所)


比良ヶ嶽 志賀右エ門
春場所 冬場所
1774年 東大関
0–1–7 
x
1775年 x 東関脇
3–3–3 
1776年 東関脇
引退
––
興行中止
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

出典

  • 「相撲」編集部編 編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。

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