歴史的記録に残る取り替え子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 01:12 UTC 版)
「取り替え子」の記事における「歴史的記録に残る取り替え子」の解説
取り替え子と誤解されたことで、虐待されたり殺されたりした者もいた。取り替え子の存在を信じていたことから起きた2件のヴィクトリア朝期の事件がある。 1826年、アン・ロシュは4歳になる言葉と足の不自由なマイケル・リーヒーを、繰り返しフレスクの風呂に入れ、3度目にとうとう溺死させてしまった。彼女はマイケルからフェアリーを追い出そうとしただけだと誓ったため、法廷で無罪となった。 1890年代、ブリジェット・クリアリーは病に数日伏せった後(おそらく肺炎であったという)、夫といとこを含む数名によって殺されたが、殺人者らは自分たちが殺したのは取り替え子であり、ブリジェット・クリアリーではないと主張した。地元の語り部ジャック・ダンは、ブリジェットが妖精の取り替え子であると告発したが、彼らが実際信じていたかどうかは議論の的である。彼女の夫マイケルが興奮状態の発作を起こしてブリジェットを殺した後、彼が『妖精からの防衛』をでっちあげたのだと、多くの人々は信じた。
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