歴史・沿革と三入八幡神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 02:29 UTC 版)
「新宮城 (安芸国)」の記事における「歴史・沿革と三入八幡神社」の解説
現在、地域の信仰を集める三入八幡神社が新宮城跡に建っている。この八幡神社は熊谷氏が甲斐国から勧請、社領を寄進して保護に努めていた。この新宮城は熊谷氏の一族・末田氏が支配しており、『群中国郡誌』によれば、末田氏が元亀年間(1570年~1572年)から社職を務めていたとの記載がある。元亀3年(1572年)には熊谷高直が銅製梵鐘を寄進している。この梵鐘は現在、広島市指定の重要有形文化財(工芸品)に指定されている。 三入高松城が廃城となった天正19年(1591年)頃に廃城になったと推測される。城はなくなったが三入八幡神社は存続し、現在も社職は末田氏が務めている。 境内には早良親王(崇道天皇)のものとされる石積みが残っている。
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