正覚寺 (目黒区)とは? わかりやすく解説

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正覚寺 (目黒区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/19 17:40 UTC 版)

正覚寺
正覚寺鬼子母神堂
所在地 東京都目黒区中目黒
位置 北緯35度38分28.4秒 東経139度42分1.4秒 / 北緯35.641222度 東経139.700389度 / 35.641222; 139.700389座標: 北緯35度38分28.4秒 東経139度42分1.4秒 / 北緯35.641222度 東経139.700389度 / 35.641222; 139.700389
山号 実相山[1]
宗旨 日蓮宗
創建年 元和5年(1619年
開山 法泉院日栄[1]
開基 三沢初子
正式名 實相山正覺寺
公式サイト 実相山 正覚寺 公式サイト
法人番号 9013205000086
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正覚寺(しょうがくじ)は、東京都目黒区中目黒(もと荏原郡中目黒村)にある日蓮宗の寺院。山号は実相山。旧本山は身延山久遠寺徳川家斉江戸城で帰依していた日蓮聖人像を安置する。

歴史

元和5年(1619年)法泉院日栄寛永11年(1634年)没)を開山、三沢初子仙台藩主伊達綱村の生母で伊達騒動を扱った「千代萩」の政岡のモデルといわれる人物)が開基となり創建。元禄11年(1698年不受不施派禁圧の影響を受け本山であった碑文谷法華寺(現在の円融寺)の天台宗改宗にともない、本山を身延山久遠寺へ改めた[2]

また、村井検校(扇一)や旗本の丹羽氏と思われる墓所もある。

仙台伊達家との関係

三沢初子が住持の日猷と日登に帰依し邸宅を寄進し諸堂を建立した。初子の墓(東京都指定文化財)もある。1934年昭和9年)建立の初子の銅像もある[2]

脚注

  1. ^ a b 新編武蔵風土記稿 中目黒村.
  2. ^ a b 山本和夫 著『目黒区史跡散歩 (東京史跡ガイド10)』学生社、1992年、62-63p

参考資料

  • 日蓮宗寺院大鑑編集委員会『宗祖第七百遠忌記念出版 日蓮宗寺院大鑑』大本山池上本門寺 (1981年)
  • 山本和夫 著『目黒区史跡散歩 (東京史跡ガイド10)』学生社、1992年
  • 「中目黒村 正覚寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ47荏原郡ノ9、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763981/103 



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