正義論 (ロールズ)
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『正義論』(せいぎろん、A Theory of Justice)は、1971年にジョン・ロールズにより著された政治哲学の著作。功利主義を批判し、それに代わる社会正義原理として”公正としての正義"論を提示した。社会契約説が想定した自然状態を参考に、無知のヴェールのもとでの原初状態(original position)を仮説的状況として定め、この状態から合理的な選択に各自が従えば全員一致で、格差原理(difference principle)を含む正義の二原理(後述)が選択されると論じた[1]。
公民権運動やベトナム戦争、学生運動に特徴付けられるような社会正義に対する関心の高まりを背景とし、その後の社会についての構想や実践についての考察でしばしば参照されている。
正義論 | ||
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著者 | ジョン・ロールズ | |
訳者 | 川本隆史、福間聡、神島裕子 | |
発行日 | 2010年11月18日 | |
発行元 | 紀伊國屋書店 | |
ジャンル | 政治哲学 | |
国 | アメリカ | |
形態 | 改訂版 | |
ページ数 | 844ページ | |
コード | 4314010746 | |
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内容
ロールズは価値の多元化(善の構想)を現代社会の特徴と捉えた。そのため、特定の善を正義と同一視することはできないと考え、正義と善を区別したうえで、様々な善の構想に中立的に制約を課す規範を正義と位置づけた。このような、正義が善の追求に優先する立場は「義務論的リベラリズム」と呼ばれる。正義は制度を通じて具体化し、公権力のみならず社会の基本構造を規制する性格を持つが、各人の基本的自由を侵害してはならないとされた[2]。
またロールズはジョン・ロックやジャン=ジャック・ルソーの社会契約説に依拠しつつ、社会を規律する正義の原理は、自己の利益を追求する合理的な人々が共存のために相互の合意によって形成する構想であると捉えた。そして、このような正義の原理を構想する方法を「公正としての正義(justice as fairness)」と定義した。
しかし、この立場は、効用を重視する古典的功利主義に基づく「正義」概念と対立することになる。古典的功利主義は、個人が効用を最大化する選択原理を社会全体に拡張しようとするが、ロールズは、個人の立場や充足されるべき欲求はそれぞれ異なると指摘した[3]。また、古典的功利主義は効用の合計値が考慮される一方、個人間の分配の不平等などは考慮されていないという批判は以前から存在していた。この中でロールズは、古典的功利主義を批判する立場をとる。
さて功利主義とは異なる、公正としての正義に基づいた正義の原理を導き出すにあたり、ロールズは「原初状態(original position)」という仮説的状況を想定した。原初状態とは、多様な個人から構成される様々な善の追求者が同じ席に着き正義の原理について議論すると仮定するが、その席には自分の能力や思想、社会的立場など一切の特徴を認知できなくなる「無知のヴェール」がかけられている。このヴェールのもとでは、自分が何者なのか、どの社会階層に属するのかといった自身の情報を知ることはできない。
このような状況で人々がどのような価値判断をするかと想像してみると、功利主義的な機会効用を最大化するような選択ではなく、多少損をしても最悪の事態を回避する、つまり保険をかけるような最小値最大化ルール(マクシミン・ルール)を人々は採用するとロールズは主張した[4]。
そして最小値最大化ルールを用いると、社会の基本財を分配する原理として、以下の2つの原理が選ばれると論じた。これを正義の二原理という。
第一原理
各人は、平等な基本的諸権利および諸自由の十分に適切な体系に対して平等な請求権を持ち、この体系はすべての人々にとっての同様な体系と両立する。そしてこの体系の中では、平等な政治的諸自由およびその諸自由のみが、その公正な価値を持つことを保障されなければならない[5]。
Each person has an equal claim to a fully adequate scheme of basic rights and liberties, which scheme is compatible with the same scheme for all; and in this scheme the equal political liberties, and only those liberties, are to be guaranteed their fair value.
第二原理
社会的および経済的不平等は、次の二つの条件を充たさなければならない。(a)第一に、不平等は、公正な機会均等の条件の下で、すべての人々に開かれた地位や職務に結びついたものであること、(b)第二に、不平等は、社会の最も不遇な人々の最大の便益に資するものであること[5]。
Social and economic inequalities are to satisfy two conditions: first, they are to be attached to positions and offices open to all under conditions of fair equality of opportunity; and second, they are to be to the greatest benefit of the least advantaged members of society.
第一原理により、生命や身体の自由のほか政治的自由なども含む平等な基本的諸自由を社会の構成員全員に認めることができる。第一原理は平等な基本的自由の原理と呼ばれる。第二原理は(a)公正な機会均等の原理、(b)格差原理(difference principle)とそれぞれ呼ばれる。第一原理は第二原理に優先し、第二原理の(a)は(b)に優先する[5]。
また第二原理は累進課税や公的扶助といった社会福祉政策の正当化につなげることができる。例えば累進課税は、お金持ちの方が支払う金額が多い点で経済的には不平等な施策といえるが、それによりお金持ちは何かの仕事につけない、あるいは自由を失うわけでなければ、第1原理と第2原理の(a)を満たし、またそれにより貧乏な人の地位が上がるため(b)もみたす。つまり正義の原理上、認められる経済的な不平等と主張できる[4]。
また以上の正義理論は社会契約の仮想的状況から導出されるだけでなく、まっとうな道徳判断から帰納的に求める試みがあり、この手法はカント的構成主義と呼ばれている。カント的構成主義において人々は自由に正義の構想を形成する道徳的人格であり、社会は当事者の合意によって構築されるものである。
批判
この著作はさまざまな分野にインパクトを与え、停滞していた政治哲学を活性化させたが、多くの批判や論争も引き起こした[2]。
マイケル・サンデルやアラスデア・マッキンタイアといったコミュニタリアンの立場からは、あるコミュニティのなかに共通する善き生き方と切り離された形で正義を考えることはできないという反論が行われた[2]。ノージックなどリバタリアニズムの立場からは、個人の能力の違いを制度によって矯正することは個人の権利を侵害すると反論が行われ、平等主義的な再分配の原理に批判が加えられた[2]。また、平等という価値に好意的な立場を取るロナルド・ドウォーキンやアマルティア・センからも、社会が是正するべき不平等とは何かという点について異論が呈された[2]。 社会主義の立場からも、マクファーソンが資本主義的な市場の原理がロールズの理想的社会に含まれているという考察を行った。これら批判に対してロールズは自説を修正し、1993年に『政治的リベラリズム』を発表している。
脚注
- ^ 小項目事典, ブリタニカ国際大百科事典. “原初状態(げんしょじょうたい)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年8月29日閲覧。
- ^ a b c d e 伊藤恭彦『政治哲学』 <ブックガイドシリーズ 基本の30冊> 人文書房 2012年 ISBN 9784409001080 pp.54-59.
- ^ ジョン・ロールズ 川本隆史、福間聡、神島裕子訳 (2010年11月24日). 正義論 改訂版. 紀伊國屋書店
- ^ a b 伊勢田哲治 『動物からの倫理学入門』,名古屋大学出版会, 2008年, p102-107
- ^ a b c 塩野谷祐一(2002)「ジョン・ロールズ―正義の理論」『海外社会保障研究』No.138
参考文献
- ジョン・ロールズ、矢島鈞次監訳『正義論』(紀伊國屋書店、1979年)
- 新訳版:川本隆史・福間聡・神島裕子訳『正義論』(紀伊國屋書店、2010年)。ISBN 9784314010740
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