正史の八健将
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:34 UTC 版)
史実では、以下の通りに相違点がある。 臧覇:呂布の配下ではなく盟友関係にあった武将。 郝萌:『演義』では、建安3年(198年)12月の下邳城籠城戦で処刑されているが、正史では建安1年(196年)6月に呂布に叛旗を翻し、高順に討ち取られている。 曹性:『演義』では、建安3年(198年)に夏侯惇の目を射抜いた後に戦死。正史では郝萌配下の武将。郝萌の叛乱後に郝萌の旧部隊の指揮を委ねられた。 成廉:『演義』では、興平2年(195年)に戦死しているが、正史では建安3年(198年)10月の下邳城外の戦いで曹操軍に捕虜とされている。 なお「健将」とは、本来は猛将、勇将という意味を持つ語であり、『後漢書』呂布伝で成廉と魏越が、このように表現されている。
※この「正史の八健将」の解説は、「八健将」の解説の一部です。
「正史の八健将」を含む「八健将」の記事については、「八健将」の概要を参照ください。
- 正史の八健将のページへのリンク