曹性とは? わかりやすく解説

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曹性Cao Xing

ソウセイ
サウセイ

(?~?)

郝萌呂布の将。

建安元年一九六)六月ある日の夜、呂布の将である郝萌叛乱起こした郝萌軍勢率いて下邳の治府に入ったが、政庁堅牢で入ることはできなかった。呂布政庁から脱出して都督高順陣営逃げ込むと、高順手の者武装させて治府へ入り郝萌向けて弓弩発射した郝萌軍勢総崩れとなり、明け方には自陣引き返した呂布伝》。

曹性は郝萌の将であったが、このとき離叛して彼と対戦した郝萌は曹性を突き刺して傷を負わせたが、曹性も郝萌片腕切り落とした高順郝萌の首を斬り、曹性を輿に載せて呂布のもとに送った。曹性は呂布質問答えて言った。「郝萌袁術陰謀引き受けていたのです」、呂布陰謀企てていたのは誰々だ?」、曹性「陳宮賛同しておりました」。同席していた陳宮が顔を赤く染めたので、側にいた人々全部それを悟った呂布伝》。

曹性「郝萌はいつもその計画について質問してきましたが、曹性は、呂将軍には大将としての神性がござって、攻撃することは不可能だ申して参りました郝萌狂乱ぶりは限りなく思った上でありました」。呂布は曹性に「卿は健児である!」と言って手厚く療養してやり、傷が癒える郝萌の旧陣営慰撫させ、その人数を領させた《呂布伝》。

参照袁術 / 郝萌 / 高順 / 陳宮 / 呂布 / 下邳国 / 閤(政庁) / 都督 / 府


曹性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 07:45 UTC 版)

曹 性(そう せい、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。

正史の事跡

姓名 曹性
時代 後漢時代
生没年 〔不詳〕
字・別号 〔不詳〕
出身地 〔不詳〕
職官 将(郝萌の部将)
爵位・号等 -
陣営・所属等 呂布
家族・一族 〔不詳〕

呂布軍の郝萌配下。史書での記述は、『三国志』魏書呂布伝の注に引用されている『英雄記』にしか見られない。

建安元年(196年)6月、郝萌が呂布に対して謀反を起こそうとすると、曹性がこれを諫止したが、郝萌は聞き入れずに決行したとされる。郝萌は一時呂布を敗走させることに成功したが、高順の迅速な反撃により反乱は失敗に終わった。このため逃走中に、曹性は郝萌を見限ってこれに襲いかかり、郝萌の腕を切り落としたが、曹性自身も負傷した。そこへ高順が駆けつけて郝萌の首をはね、曹性を救護したという。

反乱後、曹性は郝萌が袁術と呂布軍の参謀陳宮と共謀し、反乱を企んだと証言した。陳宮も赤面するばかりで否定しなかったが、この件については結局不問にされた。曹性自身は、郝萌の謀反を諌めたと述べたことにより、呂布から賞賛を受け、郝萌の旧部隊の指揮権を委ねられた。以降、曹性の記述は史書に見当たらない。

物語中の曹性

小説『三国志演義』では、呂布配下の八健将の1人(序列第4位)として登場しており、史実よりも身分が高い。最初の曹操との戦いでは、後一歩まで曹操を追い詰めるが、曹操軍の典韋に撃退される。

沛城の戦いでは、追われる高順を救おうとして、曹操軍の夏侯惇の片目を弓矢で射抜く。しかし、それに激怒した夏侯惇の槍の一撃を顔面に食らい、命を落としてしまう。

参考文献



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