歓楽街・ディスコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:04 UTC 版)
消費の過熱は、六本木や銀座、新宿、渋谷などの歓楽街にも影響し、大金を手にしたいわゆる「バブル紳士」から、学生ビジネスのみならず、アルバイトで遊ぶための金を手にした学生までが大金をつぎ込んだ。 1980年代後半にかけて、六本木では雑居ビル「スクエアビル」の殆どがディスコになった他、六本木駅界隈には、50店舗以上もディスコが乱立し、その多くが盛況になるなど、第2次ディスコ・ブームが起こった。ディスコ以外にもカフェバーやカラオケパブが流行するなどし、この頃のバブル景気の象徴として「ジュリアナ東京」や「マハラジャ」が取り上げられることが多い。 また、都心や歓楽街の地価高騰に伴い、地価・家賃が比較的安価だった再開発前のお台場等の湾岸線に存在した倉庫や工場跡を改装・リメイクしてディスコやライブハウスとしてオープンさせるウォーターフロントブームが発生。MZA有明などがその先駆けとなった。 学生ビジネスなどが発達し、裕福な大学生を中心に組織されたイベント系サークルが、これらのディスコを数十店舗単位で同時に貸し切り、ミズノや日産自動車、スバルやサントリーなどの大企業のスポンサーを付けた上で、全国規模で数千人を動員するパーティーも行われた。
※この「歓楽街・ディスコ」の解説は、「バブル時代」の解説の一部です。
「歓楽街・ディスコ」を含む「バブル時代」の記事については、「バブル時代」の概要を参照ください。
- 歓楽街・ディスコのページへのリンク