橋本善吉とは? わかりやすく解説

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橋本善吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/28 07:25 UTC 版)

橋本 善吉(はしもと ぜんきち、1881年明治14年〉[1] - 1943年昭和18年〉[2])は、朝鮮九龍浦に居住した日本人実業家。橋本善吉商店店主[3][注 1]

経歴

香川県大川郡小田村(のち志度町、現・さぬき市)出身。九龍浦に移住し、妹婿植村倉太郎と共同で鮮魚運搬業を経営する[2]。所有船は海興丸、鷹丸、千代丸、平安丸で、九龍浦を根拠地に朝鮮関東州方面を活動舞台にする[2]。その他大敷・巾着網漁業、イワシ加工など手広く経営する[2]

有志と協力して小学校創設に努力して、これを実現する[1]1938年7月に朝鮮慶尚北道九龍浦公立尋常高等小学校増築費金1322円を寄付したため、1939年12月に褒状を下賜される[5]。学校組合管理者に挙げられる[1]

人物

橋本善吉の2階建ての木造家屋は日本の敗戦後、個人の住宅として利用されていたものを、浦項市が買い入れて修理し、「九龍浦近代歴史館」として使用している[6]

脚注

注釈

  1. ^ 橋本善吉商店について『公認大日本商工信用録 昭和11年 満鮮版(附・九州台湾)』によると、創業は1911年(明治44年)[3]。目的は漁業並びに鮮魚運搬業、船具・日用品・漁具・諸雑貨金物類販売[3]。浦項米油組合代理店である[3]。橋本善吉について『商工資産信用録 第27回』には、「職業・雑貨、煙草石油、漁業、調査年月・1926年2月、正身身代・R、信用程度・B」とある[4]

出典

  1. ^ a b c 『朝鮮功労者名鑑』893 - 894頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月23日閲覧。
  2. ^ a b c d 『新編志度町史 下巻』151頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月23日閲覧。
  3. ^ a b c d 『公認大日本商工信用録 昭和11年 満鮮版(附・九州台湾)』朝鮮26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月23日閲覧。
  4. ^ 『商工資産信用録 第27回』朝鮮は之部12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年7月28日閲覧。
  5. ^ 『官報 1940年01月04日』官報 第3896号 20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月24日閲覧。
  6. ^ 呉宣児・大沼久夫・徐相文「近代歴史文化遺産としての植民地期(日帝強占期)の日本人集住地区復元の動き-韓国南東部海岸にある浦項市の九龍浦を中心に-」。

参考文献

  • 商業興信所 編『商工資産信用録 第27回』商業興信所、1921 - 1926年。
  • 朝鮮功労者銘鑑刊行会 編『朝鮮功労者名鑑』民衆時論社朝鮮功労者銘鑑刊行会、1936年。
  • 大日本実業商工会 編『公認大日本商工信用録 昭和11年 満鮮版(附・九州台湾)』大日本実業商工会、1936年。
  • 大蔵省印刷局 編『官報 1940年01月04日』日本マイクロ写真、1940年。
  • 志度町史編さん委員会 編『新編志度町史 下巻』志度町、1986年。



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