橋本善吉 (牧場経営者)とは? わかりやすく解説

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橋本善吉 (牧場経営者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/28 07:34 UTC 版)

はしもと ぜんきち

橋本 善吉
生誕 1924年6月7日[1]
日本 北海道安平村(現安平町[2]
死没 (2020-10-19) 2020年10月19日(96歳没)[2][3]
日本 北海道安平町[3]
職業
肩書き
  • 有限会社橋本牧場 元会長
配偶者 橋本慶子[1]
子供
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橋本 善吉(はしもと ぜんきち、1924年大正13年〉6月7日[1] - 2020年令和2年〉10月19日[2][3])は、日本の実業家競走馬生産者馬主自由民主党参議院議員である橋本聖子の父。

経歴

1924年北海道出身[1]。幼い頃には丁稚奉公として競馬場へ働きに出ていたといい、10年ほど勤めた後に自身は牛を扱ってみたいと考えたという[4]。学卒後に家業であった農業に従事したのち、1955年乳牛の生産・育成・販売事業を開始[1]1960年に橋本牧場を創業し1970年有限会社に改組し社長となった[1]。北海道ホルスタイン農業協同組合、早来農業協同組合、胆振家畜商業協同組合などの理事を務め[1]、牧場を「牛の橋本」と呼ばれるに至らしめた[4]

2020年夏頃から病気のため療養していたが、同年10月19日午後7時4分に老衰のため死去した[3]。96歳没。娘の橋本聖子が前日から一晩中看病し、東京に戻ったあとのことであったという[3]

オーナーブリーダーとして

橋本の勝負服を着用した河内洋、騎乗馬ヒカリデユール

橋本牧場は競走馬の生産牧場としても知られ、橋本自身も競走馬を所有した。勝負服の柄は赤、黄袖、冠名には屋号より「マルゼン」を用いた。農耕馬を家で使っていたことをきっかけとしてばんえい競馬競走馬を持つようになったといい、その後、競走馬の生産を本格化しようとしていた1973年の秋にキーンランド研修ツアーに声が掛かり参加[4]。そこで約9000万円でのちのマルゼンスキーを受胎したシルを購入した[4]

主な所有馬

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 『現代人物事典』出身県別 東日本版 北海道102頁
  2. ^ a b c 橋本善吉氏が死去”. 苫小牧民報電子版. 苫小牧民報 (2020年10月23日). 2024年8月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e 橋本聖子五輪相の父死去 牧場も経営、伝説名馬輩出”. 日刊スポーツ (2020年10月24日). 2024年8月27日閲覧。
  4. ^ a b c d 橋本 聖子さん Interview「競馬というのは世界最高のエンターテイメントだと思うんです。」”. 日本馬主協会連合会 (2016年6月17日). 2024年9月2日閲覧。

参考文献

  • 『現代人物事典』出身県別 東日本版(サン・データ・システム、1980年6月)



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