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橋本又吉郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/06 19:47 UTC 版)

橋本 又吉郎(はしもと またきちろう、1866年1月31日慶応元年12月15日) - 1928年昭和3年)6月3日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将。現在の広島県出身。

経歴

1866年1月31日(慶応元年12月15日)、安芸国安芸郡段原村(現:広島県広島市南区段原[1]で、橋本雅辰の二男として生まれる[2]。1886年(明治19年)12月10日、海軍兵学校(13期)を卒業し、1888年(明治21年)9月24日、海軍少尉に任官[1]。1898年(明治31年)海軍少佐。1899年(明治32年)5月吾妻回航委員としてフランスに出張し、吾妻航海長として1900年(明治33年)10月に帰国[1]。1901年(明治34年)中佐に昇格、翌年戦艦富士航海長。1906年(明治39年)大佐に昇任し、巡洋艦明石艦長を務める。1911年(明治44年)巡洋艦磐手艦長、巡洋艦筑波艦長に就任。1912年(明治45年)横須賀港務部長、同年(大正元年)舞鶴港務部長を歴任。1914年(大正3年)3月31日に少将に昇任と同時に予備役編入[1]。1917年(大正6年)後備役を経て、1922年(大正11年)12月15日に退役した[1]

1921年(大正10年)から1928年(昭和3年)まで修道中学校(現修道中学校・修道高等学校)理事長を務める[3]。1928年(昭和3年)6月3日逝去[4]

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ a b c d e 『日本海軍史』第10巻、338-339頁。
  2. ^ 『人事興信録』第4版、は68頁。
  3. ^ 修道学園中高同窓会会員名簿第36号7頁
  4. ^ 参拾壱頁 海兵13期
  5. ^ 『官報』第2539号「叙任及辞令」明治24年12月15日
  6. ^ 『官報』第2875号「叙任及辞令」1893年2月1日。
  7. ^ 『官報』第3725号「叙任及辞令」1895年11月27日。
  8. ^ 『官報』第4436号「叙任及辞令」1898年4月18日。
  9. ^ 『官報』第5619号「叙任及辞令」1902年4月1日。
  10. ^ 『官報』第7028号「叙任及辞令」1906年12月1日。
  11. ^ 『官報』第8552号「叙任及辞令」1911年12月21日。
  12. ^ 『官報』第516号「叙任及辞令」1914年4月21日。
  13. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
  14. ^ 『官報』第3889号・付録「辞令」1896年6月17日。p4
  15. ^ 『官報』第5226号「叙任及辞令」1900年12月1日。
  16. ^ 『官報』第6426号「敍任及辞令」1904年11月30日。p760上段
  17. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。p18中段

参考文献

  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第10巻、発売:第一法規出版、1995年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。

関連項目




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