横川景三作 斯波義寛寿像賛
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「斯波義寛」の記事における「横川景三作 斯波義寛寿像賛」の解説
延徳2年(1490年)に義寛は執権の敏定と共に肖像画を描かせている。義寛は相国寺蔭涼軒の軒主亀泉集証に依頼して、この肖像画に横川景三の賛語を求めた。肖像画自体は今に伝わっていないが、その賛語は『補庵京華外集』に収録されている。 左兵衛佐従四位源義寛朝臣寿像賛(『補庵京華外集』) 泰山黄河、君臣之約帯礪万世清風明月、人物之標冠冕一門令聞令望外著、至忠至孝内存胸蟠百万甲兵、今将軍武衛之貴眼空三千礼楽、古清和天皇之尊六芸文継晷家学、七尺剣射斗塞垣坐柳営而起西漢風、咲灞棘小児之戯開玉堂而入東坡界、斥王呂新法之言雲雨興兮蛟龍躍、梧竹秀兮鸞鳳騫越与遠与尾者民所服也、治三国以居洛藤与橘与平者衆所帰也、論四姓莫過源威名特靡草木、友愛況及梅礬仏法二千年、付嘱于大檀越世寿億万歳、管領于豊葦原祝々、自是麒麟功第一孫生子々又生孫 延徳二年歳舎庚戌八月如意珠日、前南禅横川謹書管領職事。
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