概説:アナトリア、ギリシア、ローマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:14 UTC 版)
「キュベレー」の記事における「概説:アナトリア、ギリシア、ローマ」の解説
プリュギア(フリギア)のペッシヌースにおいては、遥かな古代より、キュベレーの原型として両性具有ともされるアグディスティス女神の信仰が存在した。紀元前203年、ペッシヌースの大いなる母を具現した聖崇拝物(神像ではなかった)が厳かにも恭しくローマに移された。 キュベレー崇拝は、すでに紀元前5世紀のギリシアで行われており、その地においては女神はしばしば、名を直接に使わず、婉曲語法によって Μητηρ Θεων Ιδαια(メーテール・テオーン・イーダイア、「イーデーの神々の母」)と呼ばれた。キュベレー崇拝への言及は、とりわけピンダロスやエウリーピデースに顕著である。しかし古典ギリシアの著作家たちは、アッティスの去勢の神話はよく知っていたにもかかわらず、性転換した「ガッリー(galli)」については知識がなかったか、または言及を行っていない。 ギリシアにおけるキュベレーの崇拝は、明らかに類似性が認められるディオニューソスの崇拝と密接に関連付けられた。キュベレーはディオニュソースにイニシエーションを与え、逆にディオニュソースはアグディスティスの去勢を行ったとも言われている。ギリシア人たちはまた、キュベレーを「神々の母レアー」と同一視した。
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