楢下宿駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 01:18 UTC 版)
楢下宿駅が形成され始めた時について2つの説があり、現在も定かとなっていない。1つ目の説は、1661年(寛文元年)の洪水により須川右岸の元屋敷・流町から上町・坂の上(横町)に集団移住したとするもの。2つ目の説は、1625年(寛永2年)に本庄街道が改修されたため、参勤交代などの通行の利便性を考慮し移住したとするもの。1661年(または1625年)に上町方面に移住したことで楢下宿駅が形成されていった。移転前は下町に番所や本陣、問屋など重要な機関があったため、下町を本町と呼んでいたとの文献が残っている。また、1757年(宝暦7年)の大洪水により下町21軒流失。被災者約20名が新町に集団移住した。これにより現在の集落形態となった。
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