楓橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 03:45 UTC 版)
楓橋は、現在も寒山寺の北100メートルのところにかけられた石造の太鼓橋である。もと「封橋」と書いたが、張継の詩が有名になったので「楓橋」に改められたといい、自動車での通行は不可能である。今でも景勝地として知られており、また楓江と京杭大運河とが交わる交通の要衝でもある。現在、周辺は「楓橋風景名勝区」として整備が進んでいる。 楓橋はまた、明代初期の蘇州出身の詩人で「呉中四傑」の一人でもある高啓(高青邱)が、かれの友人で蘇州の知事でもあった魏観に裏切られて蘇州の城内で捕縛され、そののち洪武6年(1373年)に、死を覚悟しての北行に際して「絶命詩」を詠んだ地としても知られる。 高啓は、魏観のために書いた文章が禍し、猜疑心の強い太祖洪武帝(朱元璋)によって、この詩を詠んだ翌洪武7年(1374年)に南京で腰斬の刑を受けた。39歳であった。 原文 書き下し文 楓橋北望草斑斑 楓橋北望すれば 草斑斑 十去行人九不還 十去の行人 九還らず 自知清徹原無愧 自ら知る 清徹 原(もと)より愧(はじ)る無きを 蓋倩長江鑑此心 蓋(なん)ぞ長江を倩(やと)いて 此の心を鑑みんや
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