根来衆との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 08:49 UTC 版)
雑賀衆に対して、同じ紀伊国の根来衆は根来寺を中心とした新義真言宗の僧徒らの集団を指している。戦国時代には、一説によると寺領が50万石とも70万石とも言われている。根来寺の僧は教学や儀式をつかさどる「学侶」と堂塔の管理や寺の防衛をつかさどる「行人」と分けられ、根来衆の大半は行人でしめられている。行人とは僧兵のことで、根来衆は僧兵集団と解釈される場合もある。一方雑賀衆には、行人や僧兵と言われる者たちはいなかったと思われている。現在の和歌山市の全域と海南市の一部に、沢山いた土豪の集まりで、地域と密着した集団が雑賀衆と思われている。似通っている点としては、優秀な鉄砲集団、傭兵集団で、地域も近く人的な交流もさかんであったと思われる。雑賀衆の各郷(雑賀荘・十ヶ郷・中郷・社家郷・三上郷)の家からは、根来寺に塔頭を立て、子弟を入れていた。特に有名な家として、十ヶ郷の土橋氏は泉識坊、中郷の岩橋氏は威徳院等がある。
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