板橋の別れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 05:49 UTC 版)
貧しい渥美半島にある田原藩は常に財政が逼迫し、藩士も貧しい生活を送っていた。もちろん少年崋山の家の家計も火の車で、崋山の兄弟も多くが奉公に出された。そのうちの一人、崋山の弟である熊次郎が寺に奉公に出されるのを、江戸の北の外れ、板橋まで送る際のエピソードである。 幼くして奉公に出されることとなり、悲しむ熊次郎を少年崋山が激励する。しかし、熊次郎と別れた後に崋山は慟哭し、自分が学問で身を立て、奉公に出している弟や妹を呼びもどそうと誓う。 なお崋山の7人いる兄弟のうち、崋山とほか一人を除いて全員が若くして亡くなっている。 当時の修身教育そのままの内容となっており、それがそのまま続いているだけに、今やその時代の教育の実際を知る材料ともなりえてしまっている観がある。もちろんこれだけ長く続いたのは、崋山への地元民の愛着の深さゆえでもある。 なお、当然ながら演者は全員小学生である。また、崋山の心情吐露の場面では、崋山役の少年は独唱する。合唱隊も劇を盛り上げている。
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