松田家の伝書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/13 22:23 UTC 版)
十四世・喜多六平太に芸を仕込んだ松田亀太郎は、水戸家に抱えられていた能役者の家柄だった。松田家に伝わる藤井紋太夫が誅殺された場面の記録を六平太は憶えていて、談話にしている。それによると当日の能の演目は「鍾馗」の半能(一曲の後場だけを演ずること)で、徳川光圀は面をかけないで演ずることにしたという。鏡の間で出番を待つ間に、光圀は人払いをして藤井紋太夫を呼び出し、自分が「鍾馗」を演ずる気持ちや、鍾馗というのは古の忠臣烈士であることをこんこんと教え、出番の知らせを受けると同時に立ち上がって平伏していた紋太夫の首を打ち落とし、「おう鬼神に横道なしといふに、なんぞみだんに騒がしく、帝都に乱れ天子を悩まし」と謡いながら舞台に出ていったという。 この貴重な文献は、行方不明になってしまった。
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