松島肇 (政治家)とは? わかりやすく解説

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松島肇 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 13:49 UTC 版)

松島肇

松島 肇(まつしま はじめ、1881年明治14年)5月15日[1] - 1969年昭和44年)2月7日[2])は、日本の政治家実業家徳島県阿波市出身。明治大学法学部卒業。

経歴

松島素敬の息子として板野郡土成村土成(現在の阿波市土成町土成)で生まれる[3]京都の中学校を卒業後、1901年明治34年)に上京して明治大学法科に入学し、卒業後は同大学の学生部長を務めた[4]

1906年(明治39年)に共同火災保険会社(現在のあいおいニッセイ同和損害保険の前身)に入社し、1910年(明治43年)には早稲田大学校友会に推薦された[4]

昌栄貯蓄銀行、日本資金信託、第一倉庫、安全印刷、摂津煉瓦、大阪計器製作所、中央インキ、東海市場、東亜フェルト各株式会社の社長、美馬郡是製糸、カルチウム鉱泉、東亜織布、常盤商工、黒崎電機製作所、市岡電気工業、東京絹綿紡績、大阪造船所(現ダイゾー)各株式会社の取締役、東京リベット製造、日東炭鉱、日本鋼管シャフト、城南土地各株式会社の監査役などに就いた[5]

1917年大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に当選し、1924年(大正13年)まで衆議院議員を2期務めた[4]

1931年(昭和6年)5月、経営する糸崎船渠株式会社・帝国毛織紡績株式会社などから約300万円を横領して熱海宝塚土地株式会社に注ぎ込んだとして、業務上横領・商法違反で大審院で懲役2年6か月の判決を受けた[6]。また三池炭鉱株式会社創設に関わる5万7千円詐欺事件で、同年7月の大審院判決で懲役2年が確定した[6]

1969年(昭和44年)2月7日、東京都で没する。享年89[4]

脚注

  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、28頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』598頁。
  3. ^ 「虚業家」による泡沫会社乱造・自己破綻と株主リスク 2006, p. 181.
  4. ^ a b c d 『阿波人物志』p214
  5. ^ 人事興信録 1921, p. マ59.
  6. ^ a b 『昭和7年 時事年鑑』時事新報社、1931年、pp.390。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。 
  • 『阿波人物志』原田印刷出版、1973年。
  • 『徳島新聞五十年史』徳島新聞社、1997年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 小川功『「虚業家」による泡沫会社乱造・自己破綻と株主リスク 大正期"会社魔"松島肇の事例を中心に』滋賀大学経済学部〈滋賀大学経済学部研究叢書 第42号〉、2006年2月。 



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