杵家彌七とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 美術家 > 工芸家 > 名跡 > 杵家彌七の意味・解説 

杵家彌七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/17 09:45 UTC 版)

杵家 彌七(きねいえ やしち)は、長唄三味線方の名跡。新字体は弥七。初代から3代目を杵屋、4代目以降を杵家(きねいえ)とした。当代6代目。2代目から5代目までが女性。

  • 俗に初代杵屋彌七 - 初代杵屋彌十郎
  • 俗に2代目杵屋彌七 - 初代彌十郎の門弟。

初代

(生年不詳 - 明治7年(1874年8月8日

3代目杵屋彌十郎の門弟で1834年11月に彌七を名乗る。

2代目

1874年に2代目彌七を名乗る。女性。

3代目

1916年に3代目彌七を名乗るも同年死去。女性。

4代目

(明治23年(1890年12月10日 - 昭和17年(1942年12月17日)本名は赤星よう。

東京京橋の生まれ、伊丹の商人坂上与三郎と初代杵家七媼の次女。12代目杵屋六左衛門5代目杵屋勘五郎に師事し彌壽治となり1916年に3代目彌七死去に伴い4代目彌七を襲名。1930年より従来杵屋彌七だったのを杵家彌七と表記させた。洋楽にも精通し夫は赤星國清。4代目を記念して、杵家会館は、「四世杵家彌七生誕百年記念会館」という名前が付けられている。

5代目

大正5年(1916年8月5日 - 平成17年(2005年3月3日)本名は赤星輝子。

東京の生まれ、4代目彌七の娘。1949年に5代目彌七を襲名。1983年1月に長男に彌七の名を譲り2代目杵家七媼を襲名し引退した。

6代目

(昭和23年(1948年1月12日 - )

5代の長男として東京都杉並区に生まれる。本名・赤星輝幸。1970年成城大学文芸学部卒。1966年5月に堅田喜七、1970年4月に初代杵家彌祐を経て1983年1月に先代から譲られ6代目彌七を襲名。[1]

脚注

  1. ^ 『杵家史』121p

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「杵家彌七」の関連用語

1
8% |||||

杵家彌七のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



杵家彌七のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの杵家彌七 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS