東部領土の喪失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:58 UTC 版)
セレウコス朝の国力と関心が西方に集中している間、そのための負担のみを求められた東部領土の有力者たちは離反の動きを強めた。紀元前250年頃、ディオドトス1世は支配地域のバクトリアを独立させてグレコ・バクトリア王国を建て、さらにアンドラゴラスが支配地域のパルティアナを独立させてパルティアを建てた。中央アジア方面におけるセレウコス朝の領土は大幅に縮小した。 さらに紀元前246年に即位したセレウコス2世カリニコスは、プトレマイオス朝との戦争に加え、兄弟であるアンティオコス・ヒエラクスの反乱に直面し、セレウコス朝の領土縮小に拍車をかけた。
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