東郷の肉声とは? わかりやすく解説

東郷の肉声

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 17:28 UTC 版)

東郷平八郎」の記事における「東郷の肉声」の解説

最晩年昭和6年1931年)に日本ビクターに、昭和8年1933年)に日本コロムビアそれぞれ肉声録音し2枚ずつ計48面分の肉声残されている。内容以下のとおりである。 日本ビクター盤 「所感 軍人勅諭奉戴五十周年記念(上)」53190-A 「所感 軍人勅諭奉戴五十周年記念(下)」53190-B 「追憶 日本海海戦第一報告とその信号」53444-A 「奉読 軍人勅諭五ヶ條」53444-B 昭和7年1932年1月4日軍人勅諭下賜50周年記念にあたり、その記念一環として東郷記念講演生放送1月4日夜に企画された。放送麹町東郷邸に放送機材持ち込んで行われたのであるが、東郷高齢であるため、放送当日身体上の理由放送ができなくなる可能性考えられた。そこで、海軍省日本ビクター命じて昭和6年12月27日に同じ内容講演事前に録音させ、万一の時は東郷邸からレコード放送する手はずを整える事となった。この録音たずさわった日本ビクター録音技師楠本哲秀の回想によれば録音当日東郷元帥制服威儀を正し居間置かれマイクの前で最敬礼をしたあと、直立不動姿勢一連の録音吹き込んだ。この録音楠本にとって、「一生忘れられない思い出」の一つだった。このレコード当時発売されずに海軍省内で限定的に配布されたが、国葬当日夜に放送された後、「軍人勅諭奉戴五十周年記念」は東郷五十日祭にあたる昭和9年1934年7月19日に、残り昭和10年1935年5月27日一般に発売された。また、長田幹彦日本ビクターに対して聯合艦隊解散之辞」も録音してはとアドバイスしたが、相手にされなかった。 日本コロムビア盤 「聯合艦隊解散訓示(上)」28000-A 「聯合艦隊解散訓示(下)」28000-B 「三笠保存記念式祝辞」28346-A 「海と空博覧会における祝辞」28346-B 前述のように、日本ビクター長田幹彦からの「聯合艦隊解散之辞」の録音要請話に取り合わなかった。そこで長田は、次に日本コロムビア録音話を持ちかけたところ、日本コロムビア側が承諾して録音実現した。さらに、東郷家族から祝辞録音要請された。録音昭和8年1933年2月18日ビクター盤と同様に東郷邸で行われ、「聯合艦隊解散訓示」(聯合艦隊解散之辞)はビクター盤と同じ昭和9年1934年7月19日に、二つ祝辞昭和10年1935年5月20日発売された。 なお、「海と空博覧会」とは昭和5年1930年3月20日から5月31日にかけて上野恩賜公園と「三笠」で開かれた博覧会で、博覧会初日には東郷祝辞読み上げ、この模様JOAK東京放送局)が生中継した。当時東京朝日新聞は「ラジオ通じて始めて東郷元帥親し味あるすんだ声もファン耳に入ったので大喜びであったと書いた。 その他、明治38年1905年10月29日青山霊園挙行され海軍弔慰でも、東郷朗読する祭詞録音小笠原長生発案行われるになっていたが、朗読する東郷写真撮ろうとした写真に対して東郷が「お下げなさい」と一喝驚いた写真屋はあわてて逃げ出しついでに幕の後ろ待機していた録音技師達までもが逃げ出したため、録音行われなかった。

※この「東郷の肉声」の解説は、「東郷平八郎」の解説の一部です。
「東郷の肉声」を含む「東郷平八郎」の記事については、「東郷平八郎」の概要を参照ください。

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