東種の湶田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/24 14:10 UTC 版)
湶田(あわらだ)とは現地の言葉で、1811年頃に沼地を開拓して出来た泥水を多く含む、底なしの湿田のことを指し、「あわら」とは「胸まで浸かる」という意味がある。クワを使わずに手で田を耕し、胸まで浸かり田植えが行われ、肥料をまくときも沈まないように、長い竹を支えにするなどの苦労があった。 1973年(昭和38年)には、ミズバショウの群生地として知られる高峰山のふもとにある後谷という所から、水芭蕉をあわら田に移植した。毎年、200株ずつ、7年間ほどにわたって移植し、今ではあわら田は水芭蕉の咲く沼地として、初夏にはその花を見に多くの人が訪れる。 2003年(平成13年)には農地の整備事業なされ、3年がかりで乾田化が完了した。 隣接する西種集落の日吉社には石碑があり、農地を開いた先人たちの苦労と功績、そして整備事業によって生まれ変わった湶田の歴史を後世に伝え、「湶田の里は実り豊かな土地である」という意味を込めて、伊東町長の揮毫による「湶郷豊饒(せんきょうほうじょう)」の碑文が刻まれている。
※この「東種の湶田」の解説は、「東種」の解説の一部です。
「東種の湶田」を含む「東種」の記事については、「東種」の概要を参照ください。
- 東種の湶田のページへのリンク