東突厥(第二可汗国期)の碑文
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「東突厥」の記事における「東突厥(第二可汗国期)の碑文」の解説
以下のものはいわゆる突厥碑文と総称される碑文であり、突厥時代(とくに東突厥第二可汗国期)に建てられたため、その名がある。これらの碑文はすべて古代テュルク語/古代トルコ・ルーン文字(突厥文字)で書かれている。 『チョイレン銘文』…第二可汗国の建国を称えて建てられた。 『バイン・ツォクト碑文』…いわゆる『トニュクク碑文』であり、トニュクク(英語版)(古テュルク語: 𐱃𐰆𐰪𐰸𐰸 - Tonyuquq:暾欲谷)自身が『チョイレン銘文』の30年後に作成した。 『ホショ・ツァイダム碑文』…ビルゲ・カガン、キュル・テギン兄弟の功績を称えて彼らの死後に建てられた。『キョル・テギン碑文』 『ビルゲ・カガン碑文』 日本ではこれらの碑文をしばしばオルホン碑文と総称するが、必ずしも正確な命名とはいえない。 その他の碑文としては次のものがある。 『オンギ碑文』…オンギ河畔で発見 『イフ・ホショトゥ碑文』…イフ・ホショトゥで発見。『キュリ・チョル碑文』
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