東新町商店街 (徳島市)とは? わかりやすく解説

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東新町商店街 (徳島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/26 04:57 UTC 版)

東新町商店街

東新町商店街(ひがししんまちしょうてんがい)は、徳島県徳島市東新町にあるアーケード商店街

歴史

アーケード北端部
アーケード南端部

東新町は、1585年(天正13年)に入国した徳島藩祖・蜂須賀家政が、町人を相手にする商人を集めたのが始まりで、1630年(寛永7年)ごろには内町と並ぶ徳島一の商店街として栄えていた[1]

1934年(昭和9年)に丸新百貨店が開店し[2]、1971年(昭和46年)6月18日にはダイエー徳島店が開店する[3]など大型店も出店していた。

1970年代が全盛期とされ、1974年(昭和49年)には休日の歩行者数が約4万人を数えていた[1]

しかし、1983年(昭和58年)に当地区の核店舗となっていた丸新百貨店の約2.5倍の規模で徳島駅前に徳島そごう(後のそごう徳島店)が進出したことから丸新百貨店と当商店街の衰退が始まった[2]

1995年(平成7年)3月21日に丸新百貨店が、2005年(平成17年)11月27日にダイエー徳島店が閉店して核となる大型店が無くなり、2006年(平成18年)1月27日には徳島東宝が閉館して映画館も無くなるなど集客施設が相次いで消失したことで衰退が決定的になった[2]

郊外のロードサイド型店舗が勢力を伸ばした影響で、徳島市中心市街地で1983年(昭和58年)で1位の商業販売を誇っている内町も売り上げを落としており、2001年(平成13年)11月に郊外の北島町に大型ショッピングセンター・フジグラン北島が開店した前後からはその落ち込みが一段と顕著になるなど郊外との競争に敗れたことも衰退の大きな要因となった[4]

また、1998年(平成10年)4月5日、明石海峡大橋開通後は神戸大阪等への消費者流出が生じていることも打撃となった[2]

2012年(平成24年)3月18日、アニメを中心に上映するufotable CINEMAがオープンし、映画館が復活した。また、ポッポ街1号館(本館)からはアニメイト徳島(井上書房運営)が拡大移転(書籍販売フロアの新設など)した。アニメファンの来場による波及効果が期待される。[5]

向かい側には西新町商店街があり、籠屋町商店街銀座商店街と隣接している。

現在の店舗

など

かつて存在した店舗

  • 丸新百貨店(1934年(昭和9年)[2] - 1995年(平成7年)3月21日[2]) - 当初は旧大丸(現:大丸松坂屋百貨店)と提携)[2]、その後、旧西武百貨店(現そごう・西武)と提携していた。関連会社に洋食店チェーン・ニュー徳島があった。1995年に閉店、跡地は東新町商店街のイベント広場になった。その後、2019年12月9日、阿波銀行本店営業部が新築移転開店。
  • 徳島東映(映画館)(1946年開館-2003年6月30日閉館)- 跡地はパチンコホール(※地元資本)が入居→撤退、後に後述の多目的ホールが入った
  • ダイエー徳島店(1971年(昭和46年)6月18日[3] - 2005年(平成17年)11月27日[6]
    • 徳島東宝(映画館)(1946年4月に開館-2006年1月27日閉館)
  • がんばりやにんにく店(2010年3月開店-2020年8月30日閉店) - ダイエー徳島店跡地の「アルファステイツ新町」(食品館)、「籠屋町アビタシオン」(生鮮館)の1階。
  • しんまち劇場707(多目的ホール)(2004年4月29日開館-2005年12月23日閉館)
  • 京屋フェスタ(複合商業施設)
  • マクドナルド徳島店(徳島1号店、1984年11月開店-1990年11月直営店、1990年12月-2010年[2]4月30日21時閉店サンフォート(FC店))
  • 宮脇書店徳島店
  • ミスタードーナツ東新町ショップ(2008年4月閉店)
  • NHK徳島東新町サテライトスタジオ
  • 百十四銀行徳島支店(1954年(昭和29年)開店-2010年(平成22年)10月22日閉店)) - 2010年(平成22年)10月25日、国道55号沿いのかちどき橋に移転。
  • ニコニコヤ(2014年 アミコ専門店街に移転)

など

関連項目

脚注

  1. ^ a b 谷野圭助 (2011年5月1日). “徳島市 中心街のあした 第1部・歴史(1)商都 歳月重ね変わる風景”. 徳島新聞(徳島新聞社)
  2. ^ a b c d e f g h 谷野圭助 (2011年5月4日). “徳島市 中心街のあした 第1部・歴史(3)丸新閉店 流通戦争の渦の中で”. 徳島新聞(徳島新聞社)
  3. ^ a b 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。
  4. ^ 谷野圭助 (2011年5月5日). “徳島市 中心街のあした 第1部・歴史(4)変わる駅前 話題の店、出店相次ぐ”. 徳島新聞(徳島新聞社)
  5. ^ アニメ映画館、18日オープン 東新町に文化発信拠点”. 徳島新聞Web. 2012年3月17日閲覧。
  6. ^ “ダイエー、9店舗を追加閉鎖”. 建設通信新聞 (日刊建設通信新聞社). (2005年9月28日)

外部リンク




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10
アミコビルオープン、再開発頓挫、丸新閉店アミコビルオープン後は人の流れが変わり、東新町よりも徳島駅前の方が賑わう様になり始めた。1985年には、これまで新町地区が圧倒的に上回っていた年間小売販売額を内町地区に初めて抜かれ、その後は現在に至るまで差が開く一方になった。丸新は、店舗面積が3倍以上あるそごうの圧倒的な品揃えに太刀打ちできず、また、これまで毎年丸新で行われていた催事をそごうに奪われるなど苦境に立たされた。西武百貨店の支援を受けて店舗の改装を行ったが、バブル景気の一時期を除いて売上は下がり続け、県内各地の出張所を閉鎖するなど事業縮小を余儀なくされた。頼みの再開発計画は、バブル景気只中の1988年に準備組合が設立したものの、その数年後のバブル崩壊と不況により停滞、1993年には西武百貨店が事業からの撤退を決めたため、事実上頓挫し、しんまちボードウォークの建設と、アーケードの改築が施されるにとどまった。同年、JR四国最大の駅ビルである徳島駅ビルが開業し、内町地区への客の流出はさらに加速、1995年3月、ついに丸新は閉店に追い込まれた。後継テナントはなく、敷地は阿波銀行が取得し、東新町商店街に面した丸新本館は取り壊されて広場になり、新館は阿波銀プラザとして残った。なお、丸新自体は倒産したわけではなく、負債を残すこともなかった。丸新は徳島飛行場の売店「丸新空港店」で、現在も営業を行なっている。丸新閉店後
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