東北三大地主・酒田本間家と秋田池田家のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 17:25 UTC 版)
「玉川遠州流」の記事における「東北三大地主・酒田本間家と秋田池田家のエピソード」の解説
1901年(明治34年)、酒田本間家6代本間光美は、5代宗龍に共に学んだ仙北郡千屋村の坂本理一郎の依頼を受け、当時【腐れ米】といわれた【仙北米】を救うため、坂本理一郎と仙北郡高梨村の池田文太郎に、本間家に滞在中の福岡県出身の乾田馬耕教師 伊佐治八郎(いさ・じはちろう)を派遣した。以降、池田文太郎は全額負担して毎年30名の小作人を庄内へ派遣する。産米の品位向上に努め、1904年(明治37年)の「小作米品評会」で【仙北米】の声価を上げた。さらに、千屋村においては、坂本理一郎が私財をもって庄内本間農場より田中岩吉を指導教師として長期駐在させ、堆肥の切り返し、雁爪(がんづめ)除草などの実施指導に当たらせた。
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