条件付きの辞任が実行されなかった例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/01 06:59 UTC 版)
「教皇の辞任」の記事における「条件付きの辞任が実行されなかった例」の解説
1804年にナポレオン・ボナパルトに戴冠するためパリへ行く前に、ピウス7世(1800年 - 1823年)はフランスで捕囚された場合に有効となる辞任文書に署名した。 第二次世界大戦の際、ピウス12世は自身がナチスに拘束された際には辞任したものとし、枢機卿団は中立国のポルトガルから引き揚げて後任者を選出するべしという文書を作成した。 1989年2月には、ヨハネ・パウロ2世が主席枢機卿に辞任を宣言する書簡を送ったが、それは次の二つの場合には辞任するというものであった: 教皇職を果たすのに差し支えるような不治の病にかかった場合; あるいは自分が教皇であることを妨げる「深刻で持続する欠陥」がある場合。
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