本覚寺 (秋田県美郷町)
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東光山 本覚寺(とうこうさん ほんがくじ)は、秋田県仙北郡美郷町六郷字東高方町に所在する浄土宗寺院。栃木県芳賀郡益子町に所在する大沢山円通寺の末山で、寺伝では、もと天台宗の寺院であったが、弘治3年(1557年)、常蓮社等誉によって浄土宗に改宗されたと伝わる[1][2]。
注釈
- ^ 寺伝では、和賀氏の一流が「本堂氏」を称したのは、本覚寺の本堂に由来するという。『秋田のお寺』(1997)p.289
- ^ 本堂吉高は寺伝では「伊賀守吉高」と記されることが多いが、石川理紀之助編集『秋田農武迦志(あきたのむかし)』収載の『秋田六郡三十三観音巡礼記』には「伊勢守吉高」と記されている。『秋田農武迦志』pp.60-61
- ^ 『秋田六郡三十三観音巡礼記』には、虵森院に住居した「本堂出羽守」が虵森に観音堂をつくって観音像だけをうつし「幕林観音」と称したが、本覚寺は「本堂林」にあって軍戦のときに観音像を寺へ返還したという。本覚寺は天文4年には寺領増して本堂氏菩提の寺になったとしており、本覚寺は什物として「本堂大膳(法名は覚心)」の直垂・鎧・兜・馬具・太刀4降り・長刀1枝・槍2筋として所有する旨が記載されている。『秋田農武迦志』pp.59-60
- ^ 「白雲」の名は松平定信(楽翁)によって贈られたものであるといわれている。『秋田人名大事典』(2000)p.453
- ^ 『集古十種』は、1859点の文物を碑銘、鐘銘、兵器、銅器、楽器、文房(文房具)、印璽、扁額、肖像、書画の10種類に分類し、その寸法、所在地、特徴などを記し、文晁・白雲らの模写図を添えた書籍である。挿図には喜多武清・大野文泉・住吉廣行・森川竹窓なども加わった。
- ^ 上野国の豪族安倍小水麿が武蔵国比企郡慈光寺(埼玉県ときがわ町)に奉納したものの1巻であると伝わる。
- ^ 像高75センチメートル。河内国葛井寺(大阪府藤井寺市)の観世音菩薩像を模したものといわれている。『秋田のお寺』(1997)p.289
- ^ 「秋田六郡三十三観音霊場」は、長久年間(1040年-1043年)に横手長者森(御嶽山、塩湯彦神社)の「満徳長者」卜部保昌が出家して保昌坊と称し、西国三十三所巡礼をおこない、大仏師定朝に観音像33体をつくらせ、故郷にもどって現在の秋田県地方(雄勝郡、平鹿郡、仙北郡、河辺郡、秋田郡、山本郡の6郡)の社寺に奉納して霊場を定めたものの、長いあいだに忘却され、荒廃してしまったとして、享保年間(1716年-1735年)に鈴木定行と加藤政貞の2名が古跡を訪ねて巡礼し、和歌も添えた巡礼記をのこしたことから、一般にも広まった巡礼所である。なお、満徳長者は出羽清原氏の一族であるといわれている。『秋田のお寺』(1997)p.395
出典
- 1 本覚寺 (秋田県美郷町)とは
- 2 本覚寺 (秋田県美郷町)の概要
- 3 沿革と概略
- 4 白雲と真景帖
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