本覚寺 (羽島市)とは? わかりやすく解説

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本覚寺 (羽島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 03:23 UTC 版)

本覚寺
所在地 岐阜県羽島市竹鼻町2434-1
位置 北緯35度19分34.7秒 東経136度42分09.7秒 / 北緯35.326306度 東経136.702694度 / 35.326306; 136.702694座標: 北緯35度19分34.7秒 東経136度42分09.7秒 / 北緯35.326306度 東経136.702694度 / 35.326306; 136.702694
山号 真如山
宗派 曹洞宗
本尊 宝冠釈迦如来
中興年 天正8年(1580年)
中興 不破広綱
法人番号 3200005003784
本覚寺
本覚寺 (岐阜県)
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本覚寺(ほんかくじ)は、岐阜県羽島市竹鼻町にある曹洞宗寺院。山号は真如山。竹鼻城主の菩提寺として知られる。

歴史

天台宗の寺院として創建されたが、詳細は知られていない。要地にあったため度々兵火に遭い廃絶したが、永禄元年(1558年)に玄沢祖栄が新たに曹洞宗の寺院として再建した。天正8年(1580年)に竹ヶ鼻城主となった不破広綱が、父の不破綱村(本覚寺殿大雲義沢大居士)の菩提を弔うため源経祖玄を住職として整備を行う。小牧・長久手の戦いにより不破氏は竹ヶ鼻城を追われ、度々領主が変わるが、文禄元年以降は杉浦重勝が新たに竹ヶ鼻城主となり、当寺を保護した。関ヶ原の戦いに先立ち竹ヶ鼻城が落とされ、それに伴う兵火により焼失の憂き目に遭う。その後天和年間に乙先秀存を勧請開山として再興されるが、安永3年(1774年)に火災により焼失する。再建されるが明治24年(1891年濃尾地震により山門以外が倒壊した。現在の伽藍は大正4年に再建されたものである。

県指定の文化財として美濃聖人と呼ばれた永田佐吉墓及び宇喜多一蕙(浮田一蕙斉)による絵天井[1]がある。宇喜多一蕙(浮田一蕙斉)による絵天井「雲龍」は濃尾地震で破損したが、1915年(大正4年)に名古屋の大和絵師である森村宜稲によって補修された[2]

脚注

  1. ^ 美濃の国・羽島 完全攻略ブック”. 羽島市観光協会. 2022年8月5日閲覧。
  2. ^ 美濃竹鼻まちなみルートマップ”. 羽島市観光協会. 2022年8月16日閲覧。

参考文献

  • 『新版禅学大辞典』 大修館書店
  • 『羽島市史』



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