本庄秀綱とは? わかりやすく解説

本庄秀綱(ほんじょう ひでつな) ????~????

清七
◇父:本庄美作守慶秀
 越後・長尾氏臣。本庄実仍の後を継ぎ越後栃尾城主となる。主に関東方面にて軍役負担する御館の乱では景虎方について戦い敗走会津逃れた

本庄秀綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 06:04 UTC 版)

 
本庄 秀綱
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 不詳
改名 清七郎(幼名)、秀綱
主君 上杉謙信景虎
氏族 本庄氏
父母 父:本庄実乃、母:不明
景乃
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本庄 秀綱(ほんじょう ひでつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将上杉氏の家臣。栃尾城主。

生涯

越後国の武将・本庄実乃の子として生まれる。

父と共に上杉謙信に仕えた。父同様、謙信の信任は篤く、永禄2年(1559年)に謙信が室町幕府の第13代将軍足利義輝に謁見するため京都に向かった際には、太刀持ち役を務めた。また、元亀3年(1572年)には越中進軍中の謙信によって、城将として春日山城へ入城を命じられた。

天正2年(1575年)には上杉景信上条政繁らと共に、上野国沼田城城の守将を任せられるなど、関東方面での戦いでも活躍した。

謙信死後の上杉氏のお家騒動である御館の乱では、上杉景虎方につき、御館に在城していた秀綱は落城寸前に脱出。その後も三条城神余親綱らと共に上杉景勝に抵抗するが天正8年(1580年)4月22日に栃尾城が落城すると会津方面へ逃亡する。その後は佐々成政に仕えたという。

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