木形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:08 UTC 版)
東海道の城持ち大名に対しては、正保城絵図に加え、城の木形(木製の模型)の提出が命じられた。山鹿素行「年譜」正保4年条には、「今年 将軍家、北條氏長に命じ城の木形を上覧せんとす。之れに因りて予瘧疾に罹ると雖も、氏長予を招きて談ず。目録は予をして之れを書かしむ。(原文は漢文)」とあり、正保4年に3代将軍家光が城の木形を上覧し、山鹿素行が目録の作成にあたった可能性を示唆する。幕府に提出された木形は、かなりの年数を経て損壊、元文2年(1737年)7月5日に焼却処分され、現存していない。
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